哲ちゃんの下呂探訪! 情報7






2013年
8月 夏真盛り

2013年 夏の思い出 東北の旅

★今回の探訪情報★
◆活動情報◆
なかなか東北へ旅する機会が少なく、暇が取れたらと計画を温めておりました。
ようやくその機会に恵まれ、東北を車で駆け抜けて来ましたが、旅行を計画した日が近づくにつれて、3年前の心筋梗塞の事が頭をよぎり、車で行くことに大変不安を感じていました。
8月3日(土)、午後からならし運転のつもりで家内と孫を供に3人で早めに自宅を出発。
高山清見IC(東海北陸自動車道)から小矢部JCTを経由し(北陸自動車道)で新潟中央IC新潟港に到着。
新日本海フェリーに乗り朝5時50分に秋田港に到着しました。
昭和男鹿半島ICから(秋田自動車道)を能代南ICまで走り、7号線を通って十和田湖船着き場休屋に到着。子ノ口(ねのくち)まで車の代行運転を依頼し、遊覧船で休屋(やすみや)から子ノ口まで乗船、遊覧を楽しみました。子ノ口に到着後きりたんぽんを食べ、奥入瀬渓谷(銚子大滝・九段の滝)を通過し、古牧温泉へ車を走らせました。日曜日であったのか奥入瀬渓流遊歩道を散策する人の多い事と観光バスの多い事にビックリしました。
新日本海フェリー船上 快適なフェリーの部屋 フェリー内はとても広い
新日本海フェリー船上 快適なフェリーの部屋 フェリー内はとても広い
星野リゾート青森屋に午後2時ごろ到着しました。従業員の接客態度はニコニコと腰が低く、洗練された接客は到着と同時に大変好印象でした。その中でも、長靴・ハッピ・麦わら帽子姿で旗を振って歓迎してくれた人物が社長であったのなら従業員のおもてなしの態度やチームワークの良さがわかるような気がします。
旅館がレンタルした送迎バスで青森市内のねぶた祭りを1時間半かけて見物に行きました。会場へ着くと青森屋が準備した見物用の桟敷席に陣取り、7時からスタートするねぶた祭りの前に、沿道の祭り屋台に繰り出し、食べたり飲んだり楽しみました。
席に戻ると花火の合図でねぶたが沿道に繰り出しました。
青森屋桟敷席全員でバスの中で練習した「ラッセ・ラッセ・ラッセ〜ラ」の大合唱にそれぞれのねぶたが私たちの桟敷席に寄って来てくれて、祭りの一体感に大興奮となりました。ホテルの従業員も何人か同行していて、合間を見てかけ声や踊りを披露し会場を盛り上げてくれました。
祭りが終わり送迎バスで約1時間半かけて青森屋に11時過ぎに到着。夜食がバイキング形式で準備してあり、美味しく食べ、風呂に入って就寝しました。その時のせんべい汁がとっても美味しかった。
朝7時にバイキング会場へ、食事後早速青森屋を出発。孫の大真が「ホテルの従業員さんはいつ寝るんや」と不思議がっていました。うわべの事しかわかりませんが、ねぶた祭りを見物し、下呂市の夏祭りのあり方、旅館運営等に対する取り組み方、当地域の祭りなど、地域の祭り見物にしろ距離にして下呂市から高山市の距離をかけてでも、お客さんにサービスする商魂は素晴らしいものがありました。そんな訳で、既存の考え方にとらわれず実施する者・見物する者全員の参加や意外性で満足度を上げる努力が必要と感じました。
ねぶた祭りの桟敷席 「ラッセ〜ラ」の大合唱 思わず「ラッセ・ラッセ・ラッセ〜ラ!」
ねぶた祭りの桟敷席 「ラッセ〜ラ」の大合唱 思わず「ラッセ・ラッセ・ラッセ〜ラ!」
感動しました! 迫力あるねぶたに大興奮! 「青森屋」の前で
感動しました! 迫力あるねぶたに大興奮! 「青森屋」の前で
古牧温泉を後にし、日本三大霊場恐山に向かいました。むつ市に向かって国道279号線をひたすら走り、山を登っていくと硫黄の匂いが鼻を衝くようになって来て、目の前に白色の山が姿を見せて来ました。恐山です。1時間で見て回る予定でしたが、あまりにも不思議な世界で2時間かけてお参りして来ました。場所によっては身体に感ずるものがありました。
日本三大霊場恐山参拝記念 不思議な世界 鼻を衝く硫黄の匂いが漂う
日本三大霊場恐山参拝記念 不思議な世界 鼻を衝く硫黄の匂いが漂う
恐山を後にし、次の訪問地に向けて出発。来た道を青森東ICに向けて国道279号線、県道4号線をひたすら走り、東北自動車道に乗って盛岡ICで降り、繋(つなぎ)温泉ホテル紫苑(しおん)にようやく到着。綺麗な大きなホテルであったこと、夕食が部屋だしであったことなどの記憶がありますが、良もなく不可もなく印象の薄いホテルでした。ああ思い出せない!
朝食後ホテルを後に、小岩井農場に向け約30分走り農場に到着。
今日はスケジュールがいっぱいのため見学を入り口だけで済ませ(牧歌の里のように思う)、盛岡ICから平泉前沢ICで降り、世界遺産平泉の中尊寺の金色堂などを参拝。当初描いていた世界遺産平泉のイメージが、車の多い事と人の多い事で、残念ながら当初の思いがくずれ感激はあまりしませんでした。
恐山菩提寺山門 小岩井農場にて 世界遺産平泉「中尊寺」
恐山菩提寺山門 小岩井農場にて 世界遺産平泉「中尊寺」
しっかりとお参りを! 人の多さにびっくり!
しっかりとお参りを! 人の多さにびっくり!
その後下道を走り、関ICから東北自動車道に乗り、冨谷JCT・仙台北部道路利府中IC・仙台松島道路を通り、松島遊覧船の船着き場に到着。 震災の後が見受けられない? 先ずは松島湾一周観光船に乗りました。
松島湾はいくつもの島が点在していたおかげで津波の被害が比較的少なかったそうでした。しかしながら島々の岩肌は津波で崩れた個所も多く見受けられました。夕方になり、本日の宿泊先「一の坊」に到着。玄関に入ると大きな竹細工の飾りがあり、感激と共に制作物の感性が大変勉強になりました。横には昔ながらの七夕飾りがしてあり、短冊に願い事を書いてつけて来ました。
例年ですと、この時期が来ると自宅前に家族全員で願い事を書いた七夕飾りを行い、同時に30個の白提灯とうろうを高々と掲げ先祖の供養と感謝をしていましたが、今年は旅先で先祖への感謝と、生きていることへお礼を言ってきました。夕食は食事会場の中にある個室が用意してあり、料理もしっかりした一品でそれぞれ運んでくれました。大変おいしかった。又、このホテルの庭園は大変広く素晴らしいながめでした。
宿泊先「一の坊」玄関にて おいしい夕食に満足! すばらしいホテルの庭園
宿泊先「一の坊」玄関にて おいしい夕食に満足! すばらしいホテルの庭園
満足してホテルを出発。目的の一つである津波の被災地を自分も孫にも見せたいため、予定を変更しもう少し視察していくことにしました。フロントで被災地の現場を見たい訳を言って近場の被災地を見に行くことにしました。海岸道路を走り被災地を見ましたが、津波でそのままになっている家屋、草が背丈まで伸び放題の田畑が一面にありました。原発は論外ですが、仮設住宅が多くあるものの、復興に向けて着々と工事が進み、日本人の再生力を改めて感じました。住宅建設も着々と進み、堤防工事等についても再建に向け各種の公共事業も進み、又、工事車両の多い事に驚きました。
しばらく、被災現場を見て回った後、仙台南ICから仙台空港・相馬市・浪江町を左手に位置しながら東北自動車道を走り、郡山JCTから磐越自動車道で新潟中央JCT経由で北陸自動車道を通って帰宅する予定でしたが、一部の被災地を見たこともあって時間的に今日中に帰れないこと、孫にこの機会に長野の戦争の遺跡松代大本営の地下壕を見せることを思いつき、帰路を変更。ひたすら東京方面に向けて、東北自動車道を走り栃木都賀JCT・岩舟JTC北関東自動車道を高崎JTCまで走り、関越自動車に入り、いつも長野の常宿としている松代ロイヤルホテルに宿泊予約を入れた所、運よく宿泊予約が出来、藤岡JTC上信越自動車道を走り更埴JTC長野自動車道長野ICで自動車道を降りホテルに到着しました。
今回は孫を同伴しており、アトピーの事もあり食事の事を話しておきましたら、当日の予約にもかかわらず、料理に気を使っていただき大変有難く思いました。
津波の被害の大きさに・・・ きれいな建物も被害に ことばも出ません。
津波の被害の大きさに・・・ きれいな建物も被害に ことばも出ません。
これからが大変だけれども 復興に向けて! 日本人の再生力は強い!
これからが大変だけれども 復興に向けて! 荒地は身丈ほどの草が!
朝早く食事を済ませ、太平洋戦争の遺跡松代象山地下壕に行きました。地下壕は太平洋戦争の末期、本土決戦の最後の拠点として大本営、仮皇居、政府機関などを移す目的で極秘のうちに象山・舞鶴山・皆神山に建設されたもので、総延長約10kmの地下壕が基盤の目のように突貫工事で掘削され、当時の金で一億とも二億ともいわれ、多くの朝鮮の人たち、当時の中等学校の生徒や国民学校児童を含む日本の人たちが動員され、多くの犠牲者の方が出たとも言われています。本来9時からの入場でしたが、少し早目に入る事が出来ました。壕の中の見学できるコースは延長約500メートルで気温が14度から15度ほどでひんやりしました。時間が早いこともあって壕の中は私たち3人だけで異様な感じがしました。孫に地下壕の中で今のような掘削機のない時代作るのに大勢の人たちの努力と犠牲によつて建設されたことを説明し、肌で感じ取らせようと努力しました。孫も神妙に聞き入り来た甲斐がありました。
又、車で5分ぐらい離れた所にある舞鶴山に建設された地下大本営予定地跡を利用した現在気象庁精密地震観測室が設置されて地震観測に使われています。一部見学可。その後、松代ICから長野自動車道で松本ICで降り安房トンネルを抜けて高山から萩原に到着しました。
出発から自宅に到着まで私一人で6日間かけて1950km走り抜けました。少し体力に自信がつきました。
太平洋戦争の遺跡松代象山地下壕 二度と繰り返してはならない戦争 一歩大人になった夏休みでした
太平洋戦争の遺跡松代象山地下壕 二度と繰り返してはならない戦争 一歩大人になった夏休みでした
この旅行を振り返って、東北へ一度は旅をしたいと思っていましたが、なかなか東北に旅することが出来ませんでした。出来て良かった。この旅を通して津波の恐ろしさ、日本人の復興に対する素晴らしさを肌で感じて来ました。ただ残念なことは、原発の影響で復興したくても出来ない箇所がある事です。目に見えない放射能の恐怖に、その地の皆様の心情をご察し申し上げると情けなくなるばかりです。
◆福島原発事故について思うこと◆
今回東北を旅して、地震・津波の被害による災害地をテレビ、新聞だけでなく自分の目で見て肌で感じて来ました。正直言って原発事故関係地の皆様には失礼ですが、目に見えない放射能の恐怖で原発被災地には足が向きませんでした。
目に見える地震・津波などによる災害は不幸なことでしたが、素晴らしい日本人の英知と努力で復興が進んでいます。
一方、原発事故による目に見えない放射能、何十年後にしか結果が出ない放射能の恐怖、何十年も故郷に帰れない放射能、復興したくても出来ない放射能被災地はいまだに復興も出来ずにいるのです。
こんな状態の中で、各電力会社は安全だといって原発の再稼働を推進しようとしています。予測しないところに起きるのが不測の事態です。人間の力ですぐ復興できないものは作るものではないと思います。
又、政府は日本の原子力発電システムを海外に売ろうとしています。偉い人の考えはわかりません。 毎年8月になると世界で唯一原爆投下を受けた日本の広島・長崎で原爆式典が開催され悲しみにくれますが、原発も事故が起きれば原爆と同じです。日本は小さな島国です。福島に起きたこの事故で、この地域は死に体となってしまいました。大陸と違って次の所へ移住すればよいなどと言えません。不測の事態はいつ起こるかわかりません。福島に続いて新潟、福井、静岡で原発事故が起きたら、私たちは住む所がありません。日本がなくなってしまいます。
津波で流される家屋・船舶・自動車のあの悲しい光景がテレビで見て目に焼きついています。同時に、原発事故現場も放映されましたが、津波で崩壊した原発建屋も目に焼きついていますが、放射能は恐ろしい恐ろしいといいながら、目に見えない、結果が数年後しか実感できないことから、放射能に汚染される事の恐ろしさを、頭で考え理解しているだけで国民全体も放射能の恐ろしさにピンと来ていないと思います。
今年も、何日も猛暑が続きましたが、電気が足りないという報道は聞きませんでした。ソーラ発電等による新時代の発電システム・省エネシステムを、被爆した国として、世界に先駆けて日本人の英知と努力を結集し、本当の美しい国日本を作る努力を期待しています。
がんばろう!日本!

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