2010年が始まりました。今年も「南飛騨からのたより2010」をよろしくお願いいたします。




YUMEちゃんが愛知へ帰っていった日曜日 (2010.08.22)

 「大島区納涼夏まつり」「怪我無地藏尊供養祭・子どもみこし行列」が行われたのは8月15日でした。日曜日です。今日8月22日は日曜日、「大島区納涼夏まつり」「怪我無地藏尊供養祭・子どもみこし行列」の日からもう1週間が経っています・・・「えっ、はや1週間が過ぎてしまったのか、その間何をしていたのだろう?」・・・会場の後片付けをしたり8月15日行事の所要経費の支払いをしたり、9月19日に開催する予定の「大島区敬老会」の招待者名簿を作成したり、高校時代からの友人と懇親会(飲み会)をしたり、夏バテ気味で寝込んでいたり。
 帰省した母親とともに生後11カ月のYUMEちゃんが我が家にやってきたのは8月15日でした。暑い愛知から少しは涼しい飛騨へ秘書に来たのです。「大島区納涼夏まつり」「怪我無地藏尊供養祭・子どもみこし行列」の残務処理や「下呂市防災訓練」や「大島区敬老会」の計画・準備で溜息をつきうつむきながら日々を過ごしている私に、YUMEちゃんはしばらく警戒をしていました。伝い歩きができるようになったYUMEちゃんが私に少し警戒感を解いたのは19日くらいになってからかもしれません。
 YUMEちゃんは愛犬「MOMO」に興味を示すのですが、「MOMO」はなるべく関わりを持たないように振る舞います。「MOMO」は普段は我が家の「姫様」的立場に在るのですが、YUMEちゃんが来るとYUMEちゃんが「お姫様」になって、「MOMO」は1ランク立場が下がってしまうのです。ひがみながら、YUMEちゃんを攻撃するようなことはしません。ひたすらYUMEちゃんとその取り巻きに「知らん振り」をするのです。
 高齢者の熱中症患者が多発しそうな日でした。「お父さん」に迎えに来てもらって、YUMEちゃんは愛知県に帰っていきました。
 夕方の空に多くのツバメが舞っていました。その遙か上空、青い夕方の空に、白い2機の飛行機が東から西へ飛んで行きました。
 『龍馬伝』や『灼熱アジア 第1回 タイ “脱日入亜”日本企業の試練』(中国、韓国、さらにはインドとFTAを結び、関税のない巨大経済圏へと変貌するASEAN、その最大の製造業基地であるタイを取り上げる。タイには、日本に加え、中国、インドなどの各国企業がなだれ込み、部品生産、組み立て、物流など、あらゆる分野でこれまでの秩序・ルールをぶち壊すような“仁義なき闘い”が繰り広げられている。日本勢も大田区の町工場群など世界に冠たる技術力を誇る工作機械や金型企業などが生産の根幹を次々と移転。ところが主客はすでに逆転し、かつてのアジア進出とはすっかり様変わりをしている。もはやタイにおいて技術立国(モノ作り大国)日本の圧倒的な優位性は崩れてきており、将来、生き残るすべは、生産ネットワークの一員としていかに優秀な歯車になるのかということしかない。これからのアジアとの関係を暗示するような日本企業の苦闘に完全密着する)を見ました。
 家の中に入れてもらった「MOMO」は涼しい玄関前の板の間フロアーで眠っています。網戸の外では秋の虫が鳴いています。ふと、小川未明の「月夜とめがね」を思い出した。「月夜とめがね」は晩春あるいは初夏の話なのでしょうが、今夜同じようなことが起こっても違和感はありません。
 YUMEちゃんは、お父さん、お母さんとともに、愛知での暑い夜を過ごしているかもしれません。エアコンの涼やかさでも安らかに眠れることができればいいのですが・・・。


五の池小屋からテレビ生中継! (2010.08.18)

 霊峰御嶽山の飛騨頂上にある「五の池小屋」の管理人(小屋番)の市川さんのブログ「ちょこっと日記」(http://rhmm35.blog12.fc2.com/)を読んでいたら、8月21日朝にNHK総合で五の池小屋から全国テレビ生中継が行われると載っていました。ぜひ、皆さん見ましょうね。
 市川さんのブログを無断転載します。

 【2010. 08. 16】五の池小屋からテレビ生中継!!来る8月21日の朝、五の池小屋がテレビに出ることとなりました。それもなんと、なんと生中継です。すごいでしょ! すごすぎる〜 それもNHK!五の池小屋を初めて10年、いろいろなことがありましたが、まさかこんなことになるなんて・・・自分でも驚きすぎて、やばいです。御嶽山の大きな魅力を、現地五の池小屋から全国に発信できるなんて、幸せ!番組は全国放送と中部圏の放送と二本立てです。

     放送予定 8月21日(土曜日) 朝 NHK総合 7:15全国放送(約2分半)
7:30 〜 8:00 ウィークエンド中部
            (愛知県、岐阜県 三重県 石川県 福井県 富山県 静岡県 放送予定)
                     乞うご期待!


未明 (2010.08.18)

 昨日(17日)は熱中症気味だったのでしょうか、頭や胃が痛く、やらなければならないことはいっぱい有るのに、何もできませんでした。しばらく放置した畑に行ってみると、ズッキーニがヘチマのようにでかくなっていました。午後5時からウイスキー(角瓶)を飲みました。
 8月18日午前零時30分に起き出して、芋焼酎の湯割りを飲みながら、9月19日に開く計画の「大島区敬老会」招待者名簿の作成を続けました。
 午前2時前、愛柴犬「もも」が「ウンチやシッコがしたいよう」と鳴き始めました。懐中電灯やウンチ袋を持って、「もも」と丑三つ時の散歩に出かけました。
 芋焼酎の湯割りを飲み過ぎたようです。時刻は午前4時になろうとしています。
 「私は何をしているのか」・・・


幸せそれぞれ (2010.08.17)

 仙台市泉区の南インド料理店「チットラ」店主のブログ、「ハッピーエンディング・ストーリー」を読んで、うるうるしました。人生は1度だけ、人生は誰も波乱万丈だろうと思います。男にとって伴侶に先立たれることは重大事件です。それ以上に、子孫に先立たれることは痛恨の極みでしょう。
 私は仏教徒ですが、この世以外の極楽や地獄の存在など信じてはいません。人の命は有限です。そして不条理です。「他人には何も迷惑をかけず、天寿を全うして眠るように」・・・そんな臨終は数少ないのではないでしょうか。病死、事故死、戦死、自殺・・・多くは自他ともに不本意に死ぬのでしょう。
 人はなぜこのように生きなければならないのか・・・質量保存の法則に基づくのではないかと思っています。新しい生命が生きるためには既存の誰かが死ななければなりません。誰かが贅沢な暮らしをするためには誰かが貧困にならなければなりません。共産主義を騙る者たちが、自らの私利私欲・権力欲を担保して形造る平等社会など存在し得ません。
 モラリストを自称する偽善者どもが、他人の生き様に難癖を付けることがまま有りますが、一個人の人生は一個人の満足度で評価されなければならないものであって、世間一般の統計的数値で評価されるべきものでは無いのです。
 人の幸せはそれぞれ・・・それで良いのでも無いでしょうか。

 「ハッピーエンディング・ストーリー」を無断転載させていただきます。

  [ハッピーエンディング・ストーリー 2010年8月16日 (月)]
 今年の初夏から盛夏にかけて、長い間会っていなかった思いがけない人が突然現れて驚いたことが数回あって、そんなこと程どういうわけか立て続けに起こるのかと不思議な気持ちになったりします。
 先月の末にお店に現れたNさん。傍らには可愛い奥さん。奥さんにお目にかかるのは初めてです。Nさんに会うのはもうかれこれ10年ぶりいやそれ以上かも知れません。チットラが開店した時お店を挟んだ向かいの建設会社の資材置き場に毎日のように来ていた大工さんがNさんでした。お店で食事をされたときにぽつぽつと話をしてその実直な人柄やなつっこい笑顔に親近感をもちました。お店の外壁に車が当たった時の修理やあまりお金にならないようなこまごまとした大工仕事をいやな顔ひとつしないで、しかも格安で引き受けてもらったことが何度かありました。当時Nさんには長く入院されている奥さんと一人息子で大学生の息子さんがいました。自慢の息子さんでした。お店に一度連れてきてくれました。明るい、元気な青年でした。そんなこんなでかれこれ13年くらいまえにちょっとした仕事をNさんを介して依頼したことがありました。律義なNさんにはめづらしくしばらく仕事の連絡がなかったので会社に電話すると身内に不幸があってしばらく会社には出てこれないとのことでした。大切な息子さんを不慮の事故で亡くされたそうです。それから数日してNさんから連絡が遅れたことをわびる電話がありました。私は何とお悔やみを言っていいのか言葉が見つかりませんでした。のちに本人から聞いた話では当時はショックで口を開いて言葉を発することが出来なくなってしまったそうです。Nさんの会社はそれから1年ほどでなくなって当然資材置き場もなくなってもうNさんの姿を見かけることもなくなってしまいました。それから2、3度仕事のついでに立ち寄ってくれた時はさすがに憔悴した様子がうかがえました。当時奥さんはまだ入院されていました。
 そして歳月がながれてNさんが可愛い奥さんを伴ってチットラに表れたというわけです。Nさんの横でにこにこと笑っている奥さんはおしゃれでキュートでながく病んでいた気配は無くてついつい聞いてしまいました。長く連れ添った奥さんは3年前に他界されて、息子さんのいる浄土に旅たたれたそうです。Nさんが山形に帰京された時偶然に幼馴染の今の奥さん(ご主人に先立たれて2人の娘さんをお嫁に出して一人暮らしをされていた)に再会されてからあらためて自分の人生をみつめて思い切ってプロポーズしたそうです。娘さんたちも賛成してくれて今年の5月に山形から奥さんは嫁いできたばかりだそうです。新婚です。湯気なんかたってます。Nさんをファーストネームで呼んでます。新しい奥さんは亡くなった奥さんを知っているそうです。天国にいる奥さんと息子さんもきっとNさんの幸せを祝福しているに違いありません。長い長い凍ての季節を耐えてNさんに幸せが訪れました。奥さんには山形の4人のお孫さんから時々電話があるそうです。そうしてすぐに仙台のじいじに代わってとせがまれるそうです。「孫って、可愛いね。」とNさん。自分にはもう望めないと思っていた家族が一度にできてしまったのです。人生を決してあきらめないで実直に生きてきたNさんの渾身のスイングはスタンドの上段につきささる見事な9回裏の満塁さよなら逆転ホームランを生み出したのです。


夏まつりは終わりました (2010.08.16)

大島夏まつり2010  夏まつり当日の作業を終えて午後11時30分過ぎに帰宅しました。体も精神も”くたくた”です。けれど全身の神経はピリピリして、かなり酒を飲んでいるのですが健やかに眠れそうにはありません・・・8月15日に大島区(実行委員会)が開催する「大島区納涼夏まつり」が、心配した夕立などの降雨も無く、無難に終わりました。屋台村の焼きそばも完売できたようです。
 16日午前3時に目を覚ましてしまいました。催眠導入剤を1錠飲んで眠りました。
 16日午前8時から、「大島区納涼夏まつり」の会場の片付けが始まりました。ステージ屋根シートの撤去、テントの解体・返納、ごみの分別・リサイクルセンターへの搬入、駅前通りの「力持小太郎火まつり」の赤祭提灯の撤去など・・・仕事が休みの人も、仕事を休んで作業に協力してくれた人も。多くの人の協力を得て、片付けが終わりました。
 主催者側の人間としては、「大島区納涼夏まつり」の芸能イベントや屋台村がどうであったのかよりも、どう設営できたのか、どう撤収できたのかのほうが重要でした。
 「終わった!」・・・けれど今夜も全身の神経はピリピリして、「何か」に怯えています。


クリーン小坂川2010 (2010.08.01)

主要地方道88号線沿いの清掃  飛騨小坂の町では、毎年8月第1日曜日に「クリーン小坂川」(全小坂地域一斉清掃ボランティア活動)が行われる。もう30年近く続く恒例行事となっている。「8月第1日曜日はクリーン小坂川の日です」・・・それだけの回覧が回るだけで、多くの人たちが清掃ボランティア活動に参加する。
 今年の8月第1日曜日は8月1日・・・大島区では、飛騨川、大島谷、足谷、県主要地方道下呂小坂線(88号線)、市道小坂町大島線、同大島1号線、同大島11号線などの沿線のごみ拾いや除草が行われた。30年近く前頃と比較すると、道路沿線に捨てられるごみ(空き缶や不法投棄ごみ)は少なくなっているように感じる。
 かつて、国道41号沿いや県道御嶽山飛騨小坂停車場線(御嶽パノラマライン)沿いのごみ拾いボランティアに参加したことが何度か有る。通行者や観光客や釣り客が捨てていったと考えられる空き缶、煙草の吸い殻、食べ物の包み紙などを拾い集めながら、「何で俺が、心ない奴らの後始末的こんなことをしなければならないのか」と憤ったことがある。が、「空き缶1つ拾えば空き缶1つきれいになる、煙草の吸い殻1個拾えば煙草の吸い殻1個きれいになる」・・・それで良いではないかと思ったとき、空き缶を1つでも多く、煙草の吸い殻を1個でも多く拾おうと思ったのだった。
 8月1日、大島区は、散髪してもらったように「さっぱり」している。


読書 (2010.07.23)

 7月21日に、宮本輝の『三千枚の金貨』上下巻を買ってきた。まだ1行も読んでいない。
 近年、本を読めなくなってしまった。2009年6月25日に買った宮本輝の『骸骨ビルの庭』も上巻(288P)の230P辺りまでしか読めていない。「幼少時に親の愛情を受けずに育つと、心に深い病気を持った人間になるという説を俺は信じるでェ。父親から暴力を受けて育つ・・・。自分にではなくても、子供は自分の母親が父親に殴られるのを見るだけで、深い傷を負うんや」・・・そんな会話が出てくる辺りまでである。
 村上春樹の『1Q84』の続編が発表されると話題になった時、第1巻(Book1)だけを買ってきた。「どんな本やねん」・・・第2巻、第3巻を読む気になれるのかどうか分からなかったので、第1巻(Book1)だけを買ってきたのである。この本もまだ1行も読んではいない。
 今さら本読んで何のためになるんだろう・・・本を読むより、NHKの朝の連続ドラマ『ゲゲゲの女房』やNHK大河ドラマ『龍馬伝』、TBS系韓流ドラマ『アイリス』を観て過ごす時間のほうが楽しい。
 本棚にはたくさんの本が収納されているが、ほとんどが2度と読まれることのない本だろう。『骸骨ビルの庭』も『1Q84』も『三千枚の金貨』も、今後どうなるかは分からないが、せめて1度は読んでみようと思っている。



飛騨小坂&下呂―勝手にリンク集●リンクする許可を得ないで作成しています

御嶽と温泉と滝の町 飛騨小坂ホームページ
NPO法人・飛騨小坂200滝
霊峰御嶽山飛騨頂上五ノ池小屋
チットラ
女将ブログ
巌立峡(がんだてきょう)ひめしゃがの湯


(2010.07.22)

 TVで美味しいと紹介された店に行ったことがある。地元で「おいしい」と人気の店に食べに行ったことがある。
 私は、店の価値を評価するほどの味覚は持ち合わせていない。私の食堂・レストランの食べ物に関する評価・価値観は、非常に独善的なものである。
 先般、大賑わいの鰻やさんの鰻重を食べた。不味くはないけれど、私とは相性が悪く、何度も訪れようとは思わなかった。
 「あの店は美味い」・・・私にはそう推奨することができない。私には店の価値を評価するほどの味覚は無いのだ。残念ながら、自分の感想は述べることはできるけれども、店の味の推薦をすることはできない。


愛しき生命 (2010.07.20)

愛しき生命  長女の第1子、私の初孫は生後10カ月になった。乳児・嬰児の育児は大変なものらしい。愛知県に住んでいるで長女は、育児疲れもあったのだろう体調を崩してしまい、母親である私の妻に加勢を求めてきた。が、妻にはすぐには長女の所へ加勢に行くことができない事情があった。そこで、長女と初孫に南飛騨に帰省してもらうことにした。
 初孫は「ゆめか」という名前である。長女がブログに書いていた・・・「あんなに怖がっていた小坂じぃじにも5日目には慣れてこの通り。むしろ目線が高くなるのが楽しいのか。じぃじに抱っこされるとテンションUP」・・・初めは「ゆめか」ちゃんに警戒され、怖れられていた私も、何とか孫を抱き上げることができるようになった。
 かつて岐阜市に住む友人のお宅を訪ねたとき、慕ってくる女の子(孫)に「でれでれ」の友人の姿を見た。それで良いのだろう。友人の孫は内孫であり同居している、「ゆめか」ちゃんは外孫であり別居しているという大きな違いはあるが、将来、「ゆめか」ちゃんが慕ってくれることがあれば、私は岐阜の友人以上に「でれでれ」となるような気がする。
 「家族帝国主義」・・・それで良いのだろうと思う。


濁河温泉、そして御嶽山飛騨頂上 (2010.07.12)

 JR高山本線飛騨小坂駅−濁河(にごりご)温泉間のバス運行は廃止された。老舗旅館であった「嶽の湯旅館」が廃業し、「名古屋市職員共済組合保養所」が閉鎖された。今年(平成22年)3月末で「岐阜県立御嶽少年自然の家」が営業停止し、「国設濁河温泉スキー場」も閉鎖・解体されるという。「御嶽マラソン」も行われなくなった。まだまだ営業を撤退することを模索しているホテル・旅館もあると聞いている。
 濁河温泉、そして御嶽山飛騨頂上・・・その世界は国有林内の異境である。秘湯である。「幽玄」である。方法によってはもっともっと「怪しく」なる可能性を持っている。
 濁河温泉は標高1700m〜1800mの亜高山帯、国有林野内の温泉保養地である。
 個々の旅館のエゴが強いように思うし、そのために濁河温泉はじり貧状態に陥っていくような気はする。が、特殊だし素晴らしいぜ濁河温泉・・・濁河温泉だけは何とか生かすことができないか、何の力もない私ではあるが、そんなことを思う。
 

日暮れ (2010.07.12)

 東京へ出かけた折り、東海道新幹線の車窓から午後6時30分を過ぎても駿河湾上や静岡平原上などの太陽がまだかなり高い位置にあるのを見て「えっ」と驚きを覚えた。私の住んでいる所は標高500mほどの所である。周囲は山で囲まれている。周囲の山がどれほどの高さかを調べたことは無いが、300〜500mくらいあるかもしれない。標高500mの土地の周囲の500mの山の端は、海面からは1000mの高さになる。私の住んでいる所は標高1000mの山の端に太陽は沈むのである。私の住んでいる所で山の端に沈んだ太陽が、標高(海抜)0mの海や太平洋側平原に沈むのは、いつ頃なのだろう。


出口調査 (2010.07.11)

 雨が降り出した午後から参議院議員選挙の投票に出かけた。選挙区は候補者名を、比例区は政党名を書いて投票した。出口でNHKの調査への協力を求められたので応じた。選挙区、比例区の投票をした候補者名・政党名については実際に投票した候補者名・政党名を答えた。「支持政党は?」という問いがあったので、「無い」と正直に答えた。私は一生涯断固として無党派である。「消費税増税に賛成か反対か」という二者択一の質問があったが、これには「回答できない」とした。代議士・国会議員・高級官僚数やそれらに対する報酬や手当や特権を減らせ!、政治と官僚と企業との癒着による無駄な経費負担を減らせ!、官僚の天下り先や利権企業への優遇を止めよ!・・・自民党政権時代に増上された腐り切った土壌はそう簡単には改良できないだろう。だが、その腐り切った土壌改良に「臭い物に蓋をする」方式で消費税率を引き上げると言われたって、「反対だ」としか言えないではないか。でも、福祉・介護・年金などの原資確保のために贅沢品に20%を超える消費税をかけると提案されれば、「良いんじゃないの」と答えたい。私は、高速道路・自動車専用道路の使用料について無料化すべきでは無いと思う。特定の利便を得ている人たちはそれなりの負担をすべきだと思う。私は「特権」に激しく苛ついてきた。高速道路・自動車専用道路は「一般生活道」では無い。企業道路・生活余裕者の道と言わなければならない。利用者は限定されている。日本国民のどれほどが高速道路・自動車専用道路をどれほどの頻度で利用しているのか。高速道路・自動車専用道路の無料化は愚の骨頂である。特権的に利用する輩からは正規に取ればいいのである。道を造り続ける財源としては不適性なので、一般財源化して使えば良いと思う。


家庭菜園夏野菜収穫の季節 (2010.07.09)

 午前6時35分から愛犬「もも」との朝の散歩に出かけた。「もも」を散歩させながら、他の人の家庭菜園の成りものの状態を観察する。キュウリやナスやピーマンやシシトウなどが成っている。ジャガイモがそろそろ収穫時期じゃないのかなと思うけれども、収穫期を示す「葉や茎の黄ばみ」が現れず、未だに葉や茎が青々元気なところが多い。トウモロコシはまだ小さい。玉葱の収穫は概ね終わり、軒下などに玉葱が干してある。大きく立派な玉葱が多い。
 私の畑では玉葱は大きく育たなかった。大きな玉葱をたくさん採って、名古屋市近郊にいる長女に送ってやろうかと目論んでいたのだが、目論みは外れ、採れた玉葱の多くはピンポン玉大のものとなった。里帰りしている長女にピンポン玉大の玉葱を食べてもらうと、「不味くはない。十分食べられる」と言う。私も「はとや」のトンチャン(ホルモン)と一緒に食べてみた。確かに不味くはなかった。カレーやシチューにも使ってみると良いかもしれないと思った。
 ジャガイモは種芋を植えてから90日後位が収穫期だという。多くの人が3月下旬から4月に種芋を植えるのだが、私はぼやぼやしていて5月初旬になってやっと種芋を植えたのだった。その我が畑のジャガイモは、「種芋を植えてから90日後位が収穫期」だとすれば8月上旬にならなければ収穫ができない。今年は畑を手入れ出来ていないので、畑地は雑草地のようになっている。害虫の除去もしていない。男爵、メークイン 、キタアカリを植えたが、特に男爵がテントウムシなどにやられて枯れている。
 妻が、隣家から「キュウリはいらんかな」と言われたそうだ。私の畑でもキュウリはたくさん採れている。採れたキュウリの我が家での消費は過剰となって、新鮮採りたてキュウリを近所の人や知り合いにもらってもらっている。昨日は下呂に住む妹に「あまり良いものではないがキュウリはいらないか」と電話をすると「もらってやっても良い」と回答・・・さっそく、キュウリ、夏大根、ズッキーニ、ピーマン、ナスを届けた。
 家庭菜園というもの、野菜が成らないと悔しい思いをするが、市販することはないので、豊作であるとその取扱いに困ってしまう。夏野菜の保存、加工・・・簡単にできると良いのだが。
 トマトがなかなか色付いてくれない。完熟トマトを生囓りすることは家庭菜園の特権の1つである。出荷するには大きさや傷の無さなどが求められるのだろうが、自家消費するにはそんなことは関係無い。完熟して美味ければいいのである。我が家の畑のトマトはまだ青いが、やがて完熟するだろう。冷やした完熟トマトに能登塩をかけて食べることができる日を楽しみにしている。


市指定天然記念物巡視 (2010.07.06)

 下呂市小坂地域の文化財保護巡視員の一員である。巡視員は年3回の市指定文化財の巡視を求められているが、小坂地域では年第1回目の通常巡視は文化財審議会委員、文化財保護巡視員、下呂市職員による「天然記念物合同巡視」として行われている。今日、その「通常文化財保護巡視」に出席して小坂地域内の天然記念物の現況を見て回った。草生い茂る季節であり、草刈りチェンソーで天然記念物周囲の草を刈りながらの現況確認である。
 多くが特に問題となるような状況は無かった。


計数工学 (2010.07.04)

 甥が東京・一ツ橋の如水会館で挙式・披露宴をした。結果的に晩婚となったが、伴侶に恵まれて良かった。その挙式・披露宴に出席してご成婚を祝すため、私ども夫婦は日帰りで東京へ行ってきた。午前7時12分JR飛騨小坂駅発の「ワイドビュー(WV)ひだ」で東京に向かい、午後9時43分飛騨小坂駅着の「WVひだ」で帰ってきた。
 前回東京に出かけたのは何時のことだったのだろう。7〜8年前かもしれない。せっかくの機会である。せめて東京に1泊して、東京見物をできないかと思ったが、諸般の事情により夫婦での1泊は無理と、東京宿泊はあきらめた。宿泊をして東京見物をする機会が今後有るかどうかは分からないが、有ろうと無かろうとそれは仕方が無いことだろうと思う。
 参議院議員選挙戦が行われている。私は投票はしようと思うけれども選挙にほとんど興味が無く、誰に、どの党に投票しようか考えていない。これから投票日までに考えようと思う。
 新郎(甥)は東京工業大学大学院を卒業して自動車製造会社に勤めているが、弁理士資格を持っている。東工大を卒業して弁理士資格を持つ人に「菅直人」がいる。現・民主党党首である。披露宴の席上、兄・義姉夫婦の親族が集まったテーブルで、弁理士資格の関係で「菅直人」の名前が出たとき、「前民主党主の鳩山由起夫も日本共産党の志位和夫も東大工学部の計数工学の出身だよ」という話が出た。「えっ」と思った。新郎(甥)の父であり、世が世であれば「さいり」の跡取りであった私の兄は、東大工学部に進学し計数工学を専攻した。後に鉄鋼会社に勤め、勤務しながら弁理士資格を取得している。
 東大の計数工学・・・私たちが大学受験する頃はそれらと同じようなものは大阪大学に数理工学科はあるようだったが、国立大学にも同じ学科を持つ大学はそれほど無かったのではないだろうか。昭和30年代、兄は卒業論文をコンピュータを使って書いたらしい。私たちがNECのPC-6001や日立のベーシックマスターというパーソナルコンピュータをまだ知らない頃のことである。
 鳩山由起夫も志位和夫も東大工学部出身だとは聞いていたが、「計数工学」を専攻したとは知らなかった。菅直人、鳩山由起夫、志位和夫・・・近年は工学系出身の政治家が目立ちますね。
 世論はエリートたちの経歴にそれほど興味は無い。私の投票行動も兄の後輩、甥の先輩に関わり無く行われる。


さいり (2010.06.26)

 「(商法局)萩原出張所の職員には、二村宇兵衛のほかに、上呂村の細江利左衛門が任命されました」(はぎわら文庫・第11集『萩原の維新梅村騒動』)。この『萩原の維新梅村騒動』には我が家の屋号である細利が「ほそり」と書かれている。が、細江家の一人娘であった母からは、屋号は「細利=さいり」だと聞いている。
 梅村騒動で打ち壊しに遭った細江家であるが、その後血縁は途切れた。川西村の桂川平右エ門家の四男が養子に迎えられ、小坂村住新三郎さんの長女を嫁に迎えて、私たちに繋がる系譜が始まったのである。その人は後に細利(さいり)の当主となり「細江利右衛門」を名乗る。
 「小坂村住新三郎さんの長女」・・・初代小坂町長の住幸謹さんは住新三郎さんの長男である。住家からは名小坂町長、順天堂大学教授などが出ているが、住幸謹さんの一人息子の幸文さんには子が無かったので、優秀な現在の住家と我が家との血縁は無い。
 「小坂村住新三郎さんの長女」とは幸謹さんの姉であったのか妹であったのかを調べてみた。驚いたことに、弘化元年2月生まれ、幸謹さんの21歳〜22歳年上のお姉さんであった。10代で嫁に行った可能性がある明治の初め、幸謹さんが生まれた頃には、もう嫁いでいたかもしれない。
 中呂の大前家、桜洞の(元県議会議員の)小林家とも関わりのある「さいり」を、私は私の代で終わるのは仕方がないと思っている。


W杯オランダ戦・そして6月25日 (2010.06.25)

 【日本、決勝Tへ デンマークに3―1 次はパラグアイと】サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会第14日は24日(日本時間25日未明)、1次リーグE組の日本(世界ランク45位)がルステンブルクのロイヤルバフォケング競技場でデンマーク(36位)に3―1で勝利。2勝1敗の勝ち点6としてE組2位となり、決勝トーナメント(T)進出を決めた。日本の16強入りは日韓が共催した2002年大会以来2度目で、海外開催のW杯では初めて。日本は初のベスト8進出をかけて、29日午後4時(日本時間同日午後11時)開始の決勝T1回戦でF組1位のパラグアイ(31位)と対戦する。

 たぶん25日午前3時30分頃から行われたのだろうW杯オランダ戦をライブで観るつもりは無かった。が、25日午前2時に目を覚ましてしまった。睡眠導入剤を飲んでもう一度眠ろうかとも思ったが、午前3時過ぎからW杯オランダ戦が有ることを思いだして、起きていて焼酎のオンザロックを飲みながらサッカー中継を見ることにした。夜が明けてしばらくしてから日本VSデンマークは3−1で勝利し、日本は決勝トーナメントに進んだ。日本の決勝トーナメント進出は「無理だろうな」と思っていた私には、驚きの結果であった。
 サッカー中継を見ながら未明から早朝にかけて焼酎のオンザロックや缶ビールを飲んだ私は、午前5時を過ぎてから(時刻がいつだったのかは分からない)再び眠った。
 再び起きたのは午前9時頃であった。起きてすぐ、着替え・洗面を済ませて飼犬との朝の散歩に出かけた。その途中、知人に呼び止められた。「そこの墓の1つが猿に倒されとるぜな」・・・我が家の墓は、江戸時代後期から1人1体の墓が造られている。その墓地が近年猿の通り道になっていて、墓を倒していくことがあるのである。
 墓地に行ってみる。1つの墓が倒れ、1つの墓が横を向いていた。直し、草を取ってきた。


朝からラーメン (2010.06.20)

 YAHOO!JAPANのWeb-Siteに次の記事が載っていた。
 『朝からラーメンを食べる“朝ラー”ブームが都内に上陸!・・・朝からラーメンを食べる、通称「朝ラー」。静岡の一部地域や福島の喜多方などにあるこの習慣が、ここ最近、都内に浸透しつつある。都心のオフィス街に“朝限定メニュー”を出すラーメン店が増加中なのだ。』
 朝食に「うどん」や「きしめん」を食べる人がいると聞いたことがある。ならば朝食にラーメンを食べる人がいても別段不思議では無い。時により朝食にカツ丼やすき焼きやカレーライスを食べることに何の違和感も持たない私は、「朝食にラーメンを食べたって良いじゃないか」と思う。
 親子4人で香港旅行をしたのはいつのことだっただろう。そのとき、「香港では朝食にインスタントラーメンを食べる人が増えている」と聞いたような気がする。
 ピークトラムにあるスーパーマーケットで日清食品のインスタントラーメンを買ってきた。その味は私にとって病み付きになりそうな味であった。同じような味のインスタントラーメンが無いか探したが、ついに見つからなかった。あの味のインスタントラーメンを買いに香港に行こうかとも思ったが、その後機会は無く、香港で売られている日清食品のインスタントラーメンを食べることはできなかった。


初採りのキュウリ1本 (2010.06.18)

2010年初採りキュウリ  我が家の近くの家庭菜園ではジャガイモの花が咲いている。早い人は3月末に種芋を植える。多くの人は4月に植える。3月末〜4月中旬に植えられたジャガイモが花を咲かせているのだろう。今年の私の畑作は総てが後手後手に回って、ジャガイモ3種(男爵、メイクイーン、キタアカリ)を植えたのは5月になってからだった。当然のこと、まだ小さい。7月終わりにならないと収穫できないかもしれない。遅くなっても仕方が無いが、収穫できることを期待している。
 昨日(6月17日)は絹サヤエンドウ、イチゴ、ホウレンソウ、小松菜、大根(1本)を採ってきた。昨年は絹サヤエンドウ作りに失敗したので、今年は一昨年秋に種を蒔いた絹サヤエンドウを何とか育てようと多めに育てた。絹サヤエンドウが採れている。昨日も家庭用ザル1杯の絹サヤエンドウを採ってきたが、それは生っているものの半分以下の量であった。妻は「処理出来ないから採ってこないでくれ」と言うが、貧乏性の私は、ついつい採ってきてしまうのだ。
 今日(6月18日)、キュウリを1本収穫した。物差しで測ってみると、18pであった。初採りのキュウリである。スティックにしてマヨネーズを付けて食べてみた。それほど美味さは感じないが、癖の無い味であった。昨年はようやく採れ始めた7月下旬の寒さでキュウリは一挙に枯れて、ほとんど採れなかった。今年は豊作であってくれれば良いと思っている。
 余談である。1本のキュウリを収穫しに行った畑で、畑の周囲に咲いている黄色の花が「特定外来植物」なのではないかと気付いた。「特定外来植物」とは、農地に侵入すると農作物に被害を与える怖れがある植物である。オオキンケイギク、オオハンゴンソウ、アレチウリの3種類が「特定外来植物」に指定されている。畑の中で見つかったにはオオキンケイギクである。根こそぎして焼却処分する方法で除去することとした。


血圧が上がる (2010.06.16)

 血圧が上がる要因は「塩分の摂り過ぎ、喫煙、アルコールの飲み過ぎ、肥満、運動不足、ストレス、遺伝、腎臓病、動脈硬化(コレステロールが高い等)、その他の特殊な病気など」である。  6月に入ってすぐに「下呂市国民健康保険特定健康診査」が行われた。小坂健康ふれあいセンター内保健センターと玄関外の健診車で各種健診を受けた。便潜血、尿検査、身体測定、血圧測定、医師聴打診、胃透視などである。血圧測定で「胃透視ができないほどでは無いが、血圧が高い」と言われた。
 若い頃と比べれば血圧は高くなってきてはいたが、高血圧で治療や投薬を受けたことは無かった。
 6月7日のことである。体が怠く頭がぼんやりとするような気がしたので、手首に巻いて測る血圧計で血圧を測ってみた。上が200を超え、下も110以上ある。何回か測ってみたが、上は190台から下がらない。小坂診療所で受診する。医師は「確かに高い。脳梗塞が心配であればCTを撮るがどうするか」と言う。CTを撮ってもらう。結果、脳梗塞などの異常は無かった。血圧を下げる薬を飲むことになった。
 1週間朝晩血圧を下げる薬を飲んだが、血圧は下がらない。飲む薬の種類を増やしてさらに2週間飲むことにした。
 血圧が慢性的に高くなると辛いことを実感しているこの頃である。


5月の日常 (2010.05.29)

●2010年5月29日
気弱・・・陰(いん)に籠もる性格。鬱鬱 鬱鬱 どうすりゃいいんだ どうすりゃいいんだ 私の前に 立ちはだかってくる課題の泥沼に胸まで浸かりながら もがいてもがいて 鬱鬱 鬱鬱。
「成るようにしかならない」「案ずるより産むは安し」「何とかなるさ」。

●2010年5月27日
午前3時を過ぎている 妻が「ももが呼んでいる」と言う ウンチがしたいのだろう 蛍光灯の懐中電灯を持って夜の町に出かけて行く こんな時間 誰もが安らかに眠っているはずの時刻 何軒かの家には人の気配がする灯りが点いている。

●2010年5月21日
キリの花が咲いている フジの花も咲いている 躑躅も五月も咲いている 青空に鯉幟が泳ぎ グラウンドゴルフを楽しんでいる人たち その近くの玉葱の緑葉が大きく伸びた畑で ばあさんが独り鍬で土を掘っている 夏至までまだ1カ月 だいぶ初夏らしくなってきた日の夕刻 私の乗った列車は 雑草に被われた無人駅にと滑り込む

●2010年5月20日
先程まで降っていた雨は止んで 森林管理署貯木場の水溜まりには 雲を被った滲(にじ)んだ太陽が映っている 今日は蒸し暑くなりそうだと天気予報 当たり、蒸し暑くなりそうだ 竹林には筍が生えている ダム湖面は靄(もや)に被われ 苗が植えられて程無い田圃では 燕が何かを啄(ついば)んでいる オダマキ マーガレット ハナミズキ 野草の花もしきりに咲いている そんな晩春あるいは初夏の朝に 日課として愛犬「もも」と散歩する 熱はそれほど無いが 咽が痛く咳が出て体が怠(だる)い朝 そんなことは知らない「もも」は 出かけてきて一時間が過ぎようとしている朝の散歩を楽しんでいる いつまでも帰巣的彷徨(ほうこう)をしていたい「もも」よ もう帰ろうか すでにそんな時刻


初ゴルフコンペ (2010.04.21)

 「ひめしゃがクラブ」というゴルフ同好会に加入している。昨年11月に開かれた第41回大会後の懇親会の席上で「2010年4月に開く次回第42回大会の幹事をやれ!」と言われて引き受けた。
 「ひめしゃがクラブ」の主な大会会場は「鈴蘭高原カントリークラブ」である。高山市朝日町にある「鈴蘭高原カントリークラブ」は、わが家からの道のりは片道20q、車で30分弱・・・北アルプス連峰を一望できる標高1300〜1400mの鈴蘭高原に造られているゴルフ場である。周囲には白樺やカラマツの木が生えている。
 3月下旬から第42回大会の計画準備を始めた。「鈴蘭高原カントリークラブ」のオープンは4月11日だという。先輩諸氏のアドバイスを受けながら、4月21日に第42回大会を開くこととした。「ひめしゃがクラブ」には18人が会員登録している。私の住む地域の神社の春祭が行われる前日の4月3日に、「平成22年4月21日午前9時30分のスタート」の日程で18人の会員に案内状を配布した。
 参加者は9人、50%であった。今年の4月の気象は異状に不安定である。気温が乱高下し、ぐずついた天候の日も多い。幹事として大会当日の天候が心配であった。週間天気予報で4月21日の予報が紹介されるようになってから、4月21日の天気がどうなるのか、毎日毎日固唾(かたず)を飲んでその予報を見ていた。「曇り後雨」などとの予報が多く、良コンディションは期待できなかった。
 やきもきしたが何と言うことだろう、天候は晴・・・大会スタート時には高原の霧も晴れ、朝のうちは肌寒さを感じたが、手先がかじかむようなことは無く、期待以上のコンディション(ゴルフ日和)となった。午後には日本北アルプスの御嶽山も乗鞍岳も間近にくっきりと見える気持ちの良い気象となった。
 懇親会で、参加者の皆さんから「御苦労さんやったな」と慰労の言葉を戴いた。
 1つ役目を終えて「HOT(ほっと)」している。


S氏へのメール (2010.04.01)

 4月1日午後、第1回の自治会長(区長)会と懇親会がありました。懇親会で酔っぱらって、帰宅して眠っていたのですが、2日午前零時過ぎに、妻に「ももが鳴いている」と起こされました。飼犬=柴犬「もも」は、夜には居間(屋内)に入ります。4月1日は朝の散歩でウンチをしませんでした。今日は1日雨、たぶん妻が行う夕方の散歩は端折られて、「もも」はウンチをしていなかったのでしょう。けっして屋内ではウンチもシッコもしない愛犬「もも」は、ウンチやシッコがしたくなった時には、吠えたり屋内を忙しく動き回ったりして、自分の希望意志を表すのです。雨脚は強くなっています。「もも」に雨合羽を着せ、私はパジャマ姿で傘をさして、懐中電灯を持って「もも」との散歩に出掛けました。ウンチをして楽になったらしい「もも」は、今は居間で丸まって寝ています。
 起き出してしまった私は、ウイスキーの湯割りを飲みながら、メールを開いてみました。S氏からのメールがきていました。《「新聞「おくやみ」欄で、2月に、SさんとM君の訃報に接し、驚きました》・・・「えっ!」、衝撃的でした。まったく知りませんでした。Sさんは高校の新聞部で一緒でしたし、旦那さんは小坂町の御嶽マラソンに出場してくれていました。昨秋妻が綿棒製造会社を辞め失業手当をもらうために定期的に高山のハローワークに行かなければならなくなったとき、ハローワークに勤めていたSさんはどうしているのかなと思ったことがあります。M君はスーパーマーケットの経営者でした。そのスーパーマーケットに立ち寄ったとき、はとやのホルモン(とんちゃん)が置かれているのを見て、M君はH君との繋がりを大切にしてくれているのだなと思ったし、PB食品の「さんまちラーメン」の美味さに、彼の経営手腕を見たような気がしました。昨年6月に小坂中学校の還暦同窓会・修学旅行をしました。その参加者の1人が11月に亡くなりました。中学校の同級生の十数人が他界しています。生まれてきたものは死ぬ・・・それはそうなのですが、「SさんとM君の訃報」には、驚きと落胆を感じます。
 私もやがて逝く・・・それまでの間、私はどう生きればいいのだろう・・・少し考えてみたいと思います。



定年退職 (2010.03.27)

  朝刊に岐阜県教職員の異動が載っていた。民間企業では60歳の誕生日までで定年退職することが多いが、教職員を含む公務員は60歳になった年度末に定年退職する。
  今回の教職員異動は例年とは異なり、高校の同級生の教員の名前が載っているのは退職者欄である。「無難に」だったのか「波瀾万丈な」であったのかは知らない。60歳に至った年度の末まで教員を務めた同級生が教壇を去っていく。岐阜県教職員異動を見ながら、私たちは一つの区切りの時期を迎えているのだということをあらためて感じた。
  定年後の暮らし、生活、生きがいなどをどうするのか・・・やはりそれは大きな問題だと思う。リストラに近い形で58歳で希望退職した私は、その後自分の生きる意味(意義)を見出せずにいる。私と同じように自分の生きる意味(意義)を見出せずにいる同世代の人も多いのではないか。一方で果敢に自らの「これから」にチャレンジしようとする人たちもいる。数日前の新聞に、次回高山市長選に立候補するため高山市の副市長の一人が辞任したとの記事が載っていた。2〜3度言葉を交わしたことがあるかもしれないその人も高校の同級生である。
  退職後2年間が過ぎようとしている。もう一度、今後の暮らし、生活、生きがいなどをどうするのかを考え直してみたいと思う。


2010年春 その1 (2010.03.20)

  ツクシも蕗の薹も食用よりも大きくなっている。オオイヌノフグリが土手一面に咲いている。今朝の温かさは野水仙やクロッカスの花を咲かせた。谷の水音が高くなり、ダム面に白い鳥や鴨などの姿が見える。一時期姿を見たアトリはあまり見なくなった。明日は春分の日、4月になっても雪が降ることがあるのでまだ車のタイヤをスタットレスからノーマルに替えることはできないが、南飛騨でも、春分の日は節分のような春の到来を告げる日だと思う。気象予報ではまだまだ雪が降ることがあると言っているが、降ったところで積雪は多くは無いだろう。長かった冬はようやく終わろうとしている。


タラの芽 (2010.03.19)

  長女宅を訪ねた折、昼食は長久手の駅近くの食堂の座敷席で食べた。嬰児(みどりご)連れのお母さんたちが安心して御飯を食べることができる店なのだという。子どもが泣いてもお互い許容できるので、長女のママ友グループで一緒に食事をすることがあるという。
  「御飯は玄米か白米か、どちらにされますか」と問われた。白米を頼んだ。セットメニュー、和えもの、天麩羅にタラの芽が出てきた。南飛騨では野生のタラの芽が採れるのは5月だろう。
  タラの芽・・・飛騨小坂には有る所にはたくさんの野生のタラの芽がある。以前、かつて朝日新聞の天声人語を書かれていた、高校の大先輩である荒垣秀雄さんに飛騨小坂に来て頂いたことがある。荒垣さんのエッセイに「タラの芽」を扱った作品があったことを思い出し、来町の御礼にと小坂町有地で採れた野生のタラの芽を荒垣さんに送ったことがある。御礼の葉書を頂いた。


新舞子 (2010.03.18)

  事細かくは覚えていない。雑魚寝した大広間の雨戸の節穴から朝の光が射し込んでいたような記憶がある。節穴を通した光がピンホールカメラのように海行く船舶を暗い室内の壁に映しだしていたような気もするが、それはたぶん私が私のために後年に自分で造作した記憶だろうと思う。初めて見る海、砂浜、波、沖を行く船・・・私は小学校6年生の修学旅行で初めて海を見た。強烈な印象として私の記憶に残っている海は、1泊2日の小学校の修学旅行の宿泊宿に面した新舞子の、旅館の玄関前の砂浜に立って五感で感じた「海」であった。あの頃、私と同じように修学旅行で初めて海を見た同級生は多かった違い無い。
 私が初めて海を見た日から50年近い日が過ぎた。気分が塞ぐと海が見たくなる私だが、日本海に向かうことが多くて、初めて海を見た《あの》「新舞子」にももう1度行ってみたいとは思いながら、なかなか行くことができなかった。新舞子・・・それはどこにあるのだろう、行ってみたいと思いながら、つい最近まで新舞子がどこにあるのか私は知らなかった。道路地図で「新舞子」を探してみた。「えっ」と思った。セントレア(中部国際空港)から距離にして10qほど名古屋寄りの伊勢湾に面した知多半島に在った。
  3月18日に愛知県の長久手町に住む長女の所へ妻と出掛けた。生後6カ月の孫は私と顔を合わせると泣いた。長女親子と私たち夫婦とで昼食を食べ、ショッピングセンターで買い物をしていると午後3時になった。妻はこれから長女の住まいに戻り家事・掃除援助作業をするという。その間、私が長女の住まいに居るのは邪魔なだけである。帰途に着く時刻は午後6時30分と決めて、それまでの間、私は新舞子に行ってみることとした。新舞子までどれほどの道のりがあるのか、どれほどの時間がかかるのかは判らなかったが、午後3時30分に長久手を出発し、午後5時までに行ける所まで行って、6時30分に長久手に戻ってくることとした。大府や東海のR155で渋滞に遭った。道のりは長久手から45qほどなのに、新舞子に着いたのは午後5時15分頃になっていた。
  愛知県知多市新舞子・・・風力発電の風車が回っていた。火力発電所のような建物が見えた。沖(中部国際空港に近い伊勢)には貨物船が列を為していた。もちろん、風景も匂いも音も、50年前の私の記憶にある新舞子の面影など有りはしない。それは当然だ。けれど、幻想には違いないけれども、私が初めて海を見た、ここが新舞子だと思うだけで、懐かしい親しみを感じた。
  午後6時30分に長久手から帰宅の途に着こうとしていたのだが、新舞子からの帰りにもR155で渋滞に巻き込まれて、長久手に戻ったのは午後7時20分頃になっていた。午後7時30分、私を訝しげに見る愛おしい孫に「バイバイ」をして、南飛騨への帰途に着いた。


回転寿司 (2010.03.14)

  妻と高山旭座で『オーシャンズ』を観た後、三福寺町の魚鮮高山店で夕食を食べた。魚鮮(うおせん)は下呂と高山に2店ある回転寿司屋である。魚鮮の常設ネタ数は多くは無く、常設ネタで私の好みとするのは8〜10程度だろう。そんな魚鮮へ行くときの楽しみは「本日のお奨め」である。下呂店で食べたノドグロ・・・あの味は感激的であった。以後、何度か魚鮮に行ったが、ノドグロが出されることは無かった。あのノドグロの美味さは忘れ難く、金沢近江町市場での寿司屋や氷見や富山の回転寿司屋でネタメニューに「ノドグロ」の字を見つけると高価ではあるが必ず注文してみた。が、魚鮮下呂店でノドグロを食べたときの感激を再び味わうことは無かった。
  今回の《本日のお奨め》はカンパチ、活〆アジ、マトウダイ・・・まだ他にも有ったが、私が注文したのはその3品であった。マトウダイという魚は初めてであった。「馬頭鯛」「的鯛」と書くらしい。それほど美味いとは思わなかった。「どうやな?」と妻が聞く。「ううん、今ひとつやな・・・」。「こないだ(この間)下呂で食べたお奨めネタは美味しかったねけな。あれ、何やったやろ」・・・メバルを食べていた。あのメバルも美味かった。
  今回は何を食べたのだろう。本マグロの赤身(妻と1巻ずつ食べた)、カンパチ、真鯛、アジ、ブリ、マトウダイ、ヒラメ、真イカの沖漬け、ヤリイカ、鳥貝。
  回転寿司屋に行くと、子ども連れの家族、普通の老夫婦などが寿司を食べている・・・私がカウンター席に座って寿司を食べることができるのも、子ども連れの家族、普通の老夫婦などが寿司を頬張っているのも、回転寿司屋が普及してくれたおかげである。回転寿司屋が普及する以前は、握り寿司などというものは滅多には食べられないものであった。巻き寿司、揚げ寿司(稲荷寿司)、ちらし寿司(ばら寿司)、寝寿司(ねずし:なれ寿司。益田地方(南飛騨)では御飯にマスやニンジン、大根、こうじを混ぜて、炭炬燵などに入れて発酵させた)は食べたが、握り寿司を食べるなどということはめったになかった。
  私が初めて入った回転寿司屋は、富山のアピタ近くにある店で、「いき魚亭」という名前だったような気がする。ずいぶんと待たされてからカウンター席に座ることができたが、レーンを回っている寿司が何なのかまったく判らず、びくびくしながら皿を取っては食べた記憶がある。直接注文するなどということはできなかった。
  私は気分が塞ぐようになると海、日本海を見たくなる。よく独りで、あるいは妻に付き合ってもらって、能登半島、糸魚川・親不知・ヒスイ海岸、東尋坊、越前海岸、敦賀などへ日帰りドライブをした。妻とともに能登半島や越中海岸に出掛けた折には夕食を富山県大沢野町の「番やの寿司」で食べることが多かった。
  ある時、妻と日帰りで日本海に出掛けた折、帰途、大沢野の国道41号沿いに回転寿司屋が開かれていることに気付いた。「入ってみるか」・・・それが「番やの寿司」であった。その日「番やの寿司」に入ったことが、私たち夫婦の「握り寿司」に対する思い、価値観を大きく変える契機となった。「番やの寿司」もレーンを回る皿に乗った寿司が何であるのか私には判らなかった。「いき魚亭」と同じようにそれが何であるのか判らないまま、食べてみようと思うものを食べる・・・そうしていれば、私は回転寿司にそれほど魅力は感じなかっただろうと思う。「番やの寿司」では、「どんどん注文してください」と再三アナウンスが行われていた。レーンを回っている皿を取って食べるばかりではなく、「ネタ表(メニュー)を見て食べたいものを注文してくれ」というのである。思い切って注文してみる。それが私の所へ届けられる。注文した品なので、寿司ネタが何であるのか判る。食べてみたいものを注文すればいいのだ、値段は「時価」ではなく表示されている・・・それは握り寿司に対する価値観の転換機会であったのだ。
  大衆化・・・握り寿司を食べることが特権階級の優位性では無くなることは大歓迎すべきことである。私は総ての特権階級の廃絶こそがベターであると思っている。特権階級がその優位性を保ちたければ、そのための新たな価値観を見出せば良いと思う。既存の優位性を平均化されて大衆化の津波に飲み込まれてしまうセレブに何の存在価値もない。
  私の長女は大阪帝国ホテルで結婚式・披露宴をした。結婚式前夜は大阪帝国ホテルに泊まり、夕食は家族4人でホテル内にある銀座久兵衛で「おまかせ」に握りを食べた。妻子は「美味しかった」と言ったが、富山などの回転寿司屋で回転握り寿司を食べてきた私は、「何や、この寿司は・・・」と、都会のお金持ちが賞賛する握りに、さして特別な美味さは感じなかった。不味くは無かったとしても、1人1万円を出して食べるほどのものとはとうてい思えなかった。ただ、食べてみなければ「銀座久兵衛の寿司」がどのようなものなのか判らなかったのだから、1度は食べてみても良かったのかなと思うこととした。
  ただ、お断りしておかなければならないのは、私はグルメでもグルマンでも無いということだ。食に対して「ミシュラン三ツ星レストラン」と言った類の評価をできる味覚などは持ち合わせていない。私が感じたことと他の人が感じたことに大きな違いが見られることは多々ある。同じように、「あそこは美味い」と聞いて行ってみて食べた味が、私には相性が悪かったことも多々ある。奨められて行った店の味や応対などに失望したことも多い私は、他人に食堂やレストランを推奨することはできるかぎり避けている。


ミネストローネ (2010.03.15)

  レトルトパウチ食品の「具だくさん7種の野菜ミネストローネ」を食べた。「じゃがいも、たまねぎ、トマト、にんじん、キャベツ、コーン、ねぎが入った、野菜を食べるスープです」と箱に書いてある。3月15日の夕食はレーズンパン1枚、生卵を乗せたチキンラーメン、そしてレトルトパウチの野菜スープであった。
  「具だくさん7種の野菜ミネストローネ」・・・高山の百均ショップで買ってきた。たぶん105円だっただろうと思う。「お湯で温める場合は、袋の封を切らずに、熱湯の中に入れ、3〜5分沸騰させます」と《召しあがり方》に書いてある。沸騰した湯で温めて食べる。TVの料理番組で出演者たちが述べなければならないようなコメントは、私には無い。「不味くは無い」・・・「具だくさん7種の野菜ミネストローネ」を食べた私の感想である。これからもたまには買ってきてもいいかなと思った。
  独り夕食を食べながら、「具だくさん7種の野菜ミネストローネ」が入っていた箱に書かれている内容を読んでいる。「あけぼの」のマークがある。魚の缶詰を造っている会社だとの印象がある。販売者は「株式会社マルハニチロ食品」である。「マルハニチロ食品」・・・?。「マルハ」「ニチロ」「あけぼの」は別物だと思っていた私は、何でこの3つのワードが一緒に記載されているのか知りたくなった。ニチロ(日魯漁業)の缶詰ブランドが「あけぼの」らしい。マルハ(大洋漁業)と経営統合して「マルハニチロ食品」が誕生しているらしい。
  「株」は買わない。企業の生殺与奪に関心は無い。ましてや社長・会長人事など権力闘争の行方にも関心は無い。近年、会社統合が盛んに行われ、「ホールディングス」(持株会社)というものが誕生している。何だかよくわからないけれども、近年、企業は生き残りを賭けてアメーバーのように蠢いているようだ。
 食指が動くか動かないか、安いか高いか、美味いか美味くないか、私のような一庶民には企業の生き残り戦略はどうでもいい。105円のレトルトパウチ食品「具だくさん7種の野菜ミネストローネ」はどうだった?・・・「不味くは無かった」、それだけのことである。


『アバター』を観る (2010.03.10)

  アバター(avatar)・・・英語辞書を引いてみる。「名詞。インド神。権化、化身、顕現」。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、「アバター(avatar)とは、2D/3Dのビジュアルチャットやワールドワイドウェブ上の、比較的大規模なインターネットコミュニティで用いられる、〈自分の分身となるキャラクター〉、または、そのサービスの名称である」と書かれている。
  公開1カ月で前作『タイタニック』の世界興行収入記録を更新したという話題の洋画『アバター』が高山旭座で上映されるのは3月12日までだという。「観に行きたい。どちらかが50歳以上である夫婦が同時入館する場合には1人1,000円(2人で2,000円)で観られるので一緒に行こう」と妻が言う。私はどうしても映画館で『アバター』を観たいという思いは抱かなかったが、その映画を観た仙台の南インド料理店「チットラ」シェフがブログに「面白かった」と書いていたこともあって、映画館に観に行ってもいいかなという思いを抱いていた。
  午後1時15分から4時5分までの上映時間の映画を観ることにして、午後零時50分頃に高山旭座に行った。入口に「3Dではありません」と書かれていた。妻に「3Dじゃないようだよ」と言うと、妻は「えっ!」と絶句するように言った。妻は当然高山旭座でも3Dで上映されるものと思い込んでいたので、「どんな眼鏡を掛けるんやろ」などと3D映像の『アバター』を楽しみにしていたのだ。私も『アバター』は基本的に3D映画なのだと思いこんでいた。「3Dで無くても観るより仕方が無いな」と妻は落胆していた。後で、インターネットで3D映像上映について調べてみると、3D映像上映をしている映画館はごくわずかで、日本全国で上映された『アバター』は2D画像が多かったようだ。
  私は『アバター』がどのような映画なのか、内容はどのようなものなのか、まったく知らなかった。興味が無かった。「不思議の国のアリス」のような物語だと勝手に思いこんでいた私は、皮膚の色は青色・・・宇宙船が衛生パンドラに到着するところから始まるSF的作品に、『アバター』って何なんだと、驚いてしまった。
  『アバター』を観ながら、内容が『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『もののけ姫』といった宮崎駿監督作品・スタジオジブリ作品の影響を大いに受けているのではないかと思った。宮崎駿氏がそう言わないのなら誰もそうは言えないのだが、内容的には「パクリ」に近いUSA−CG、SF作品のような気がした。2010年第82回アカデミー賞で撮影、視覚効果賞など技術的な3つの部門を受賞したが、主要な作品とは認められなかったようだ。独創性に欠けていたからでは無いのか。

●ストーリー(インターネットで拾いましたが、どなたの記載か確認・記載するのを忘れました。無許可転載になります)
  時は西暦2156年。人類はアルファ・ケンタウリ系惑星ポリフェマス最大の衛星パンドラで希少鉱物の採掘基地を開いていた。パンドラは地球の熱帯雨林を思わせる、密林に深く覆われた美しい未開の星であり、ジャングルには獰猛な野生動物たちと、ナヴィという人間型の種族が暮らしていた。ナヴィは3メートルの身長、尻尾ときらめく青い皮膚を持ち、肉体的には人間よりも身体能力が高く、研ぎ澄まされた感覚を持っていた。彼らは原始的ながらも自然と調和した暮らしを送っていたが、テリトリーとする森の奥には地球のエネルギー問題の解決の鍵となる希少鉱物アンオブタニウムの鉱床があり、人間との間で小競り合いが発生していた。
  人間はパンドラの大気を呼吸できないため、屋外での活動にはアバターと呼ばれる肉体が用いられた。アバターとは人間とナヴィの遺伝子を組み合わせ作りあげた、ナヴィの容姿をした遠隔操作用の肉体であり、オリジナルのDNAを提供した操縦者が意識レベルでリンクし、まさに自分の肉体であるかのように操縦する。
  主人公ジェイク・サリーは、急死した双子の兄の代役として急遽パンドラに派遣されアバターの操縦者を務めることになった。元海兵隊員の彼は地球での戦闘で下半身不随になっており、パンドラでの任務の報酬で麻痺の治療を受けるつもりだった。しかしパンドラでは、アバターのボディを借りている間だけ、再び歩ける体を取り戻すことができた。ジェイクは採掘基地の傭兵隊長(大佐)と出会い、同じ軍関係者の誼もあり、ナヴィを偵察する密命を引き受けた。
  ある日、アバターとしてフィールドワークに参加していたジェイクは仲間とはぐれ遭難し、ナヴィの女性ネイティリに助けられた。彼女は若くて美しく、そして勇敢な戦士であった。部族の長老はジェイクの元戦士という経歴に興味を示し、ジェイクの教育と訓練をネイティリに命じた。それは当初、ジェイクにとっても偵察に好都合だった。しかし、ナヴィと共に暮らし、パンドラの自然の神秘を知り、ナヴィに受け入れられてゆくにつれ、ジェイクはパンドラにおける人間の振る舞いの正当性について疑問を持つようになっていった。
  一方、人間側は採掘の障害となるナヴィの存在に苛立ちを強めていた。平和的な解決を模索するジェイクだったが、人間とナヴィの対立はやがて避けがたい武力衝突へ発展していった。
●3D(スリーディー)
 「three-dimensional」あるいは「three dimensions」の略語であり、「3次元の」、あるいは「3次元」を意味する。


歓迎! 中村俊輔復帰 (2010.02.26)

  中村俊輔選手のJリーグの横浜マリノス復帰が決まったようだ。100万ユーロ(約1億2千万円)を超える移籍金で、スペインリーグ・エスパニョールからの完全移籍が合意されたらしい。イタリアのレッジーナ、スコットランドのセルティックを経てスペインのエスパニョールに移った中村選手は、エスパニョールでは「飼い殺し」状態であったのだ。ワールドカップを目前にし、中村選手には、100万ユーロが「安いものだった」というような活躍をして欲しい。


未来は未来に (2010.02.26)

  カナダ・バンクーバー冬季五輪女子フィギュアスケートのフリースタイルのTV中継を見る。ショートプログラムでトップに立っている韓国のキム・ヨナ選手がミス無く滑り終えたとき、次に演技をする浅田真央選手が完璧に滑り終えてもキム・ヨナ選手には及ばないと感じた。その浅田真央選手の演技には目立ったミスもあり、誰の目にもキム選手と浅田選手の差は歴然であり、キム選手が金メダル、浅田選手が銀メダルとなった。
  注目すべきは米国代表のまだ16歳だという長洲未来選手、笑顔が独特で「おたべ」を連想させる容姿で、にこやかにのびのびと演技していた。オリンピックのTV中継で長洲未来という選手を知った。祖父母は茨城県に健在だと言う。「いいね」・・・私は未来選手の隠れファンになった。にこやかなのびのびとした演技、笑顔・・・キム・ヨナさん、浅田真央さんを超える素質が有るんじゃないのかな・・・そんな期待を込めて、頑張って欲しいと応援したい。


知  足 (2010.02.26)

  樺W交社から発行された『懐石サントリー』というグラビア本がある。何十年か昔、義弟から借りて、返すことなく結果的にせしめてしまった本である。昭和55年12月13日初版発行の1,800円の本で、著作はサントリー株式会社で、コピーライターは「佐藤隆介」となっている。『懐石サントリー』は、義弟が「返せ!」と言ってきても決して返さない、私にとって深く愛着を持つ本である。
  『懐石サントリー』の「三月」には、「シテ、ワキ、ツレ」「五事五有」「預鉢」「上薬」「知足」「馳走」「利休忌」が書かれている。
  「知足」(たるをしる)を転記させて頂こう。

  京都の龍安寺といえば象徴的な石庭で知られる寺だが、寺内のつくばい(手水鉢・ちょうずばち)にちょっと風変わりな文字が刻んである。中央の四角い口のまわりに五●●矢とあり、これだけでは何のことかわからないが、それぞれに中央の口を加えれば「吾唯知足」となり、これは禅の悟りを示したものであることがわかる。
  人間の悪行や迷いの根源は飽くことを知らぬ貪(むさぼ)りの欲にある。このどうにもならない貪欲に引きずりまわされて迷い苦しんでいる境涯を餓鬼道(がきどう)という。悟りの境地に至るためには何とかして貪欲を退治しなければならない。そのために何より大切な心構えとして強調されるのが「吾(わ)れ唯(た)だ足るを知る」ということである。遺教経という経典には「不知足の者は富むといえども、しかも貧しく、知足の人は貧しといえども、しかも富めり」と説かれている。
  「家はもらぬほど、食事は飢えぬほどにて足ることなり」という千利休の教えを土台とする侘茶の本意もまた、この「足るを知る」ことにある。江戸後期の出雲松江藩主・松平治郷(はるさと)は茶人・松平不昧(ふまい)としていっそう名高いが、この人の随筆「贅言」(むだごと)には次のような一節がある。即ち「茶の本意は知足を本とす。茶道は分々(ぶんぶん)に足ることを知るといふ方便なり。足ることを知れば、茶を立てて不足こそ楽みとなれ」、あまりにも物質的な豊かさになれすぎてしまった現代のわれわれにとって、味わうべきことばではなかろうか。知足の人は貧しといえども富めり、である。酒徒の心意気はこうでなくてはならない。高価な器に珍肴を並べてみせるのが懐石ではなく、もてなしでもない。一切は足るを知るの心に尽きる。

  私の中学生時代の2泊3日の修学旅行の行き先は奈良・大阪・京都であった。奈良の猿沢池近くの旅館、京都の東本願寺近くの旅館に泊まり、関西を巡った。山陰本線に乗って鳥取砂丘に行き、帰途、京都で時間潰しのために始発の市電に乗って銀閣寺に行ったのは何時のことだったのだろう。疎水縁の哲学の道を歩き、銀閣寺を見たはずだが、


親  父 (2010.02.20)

酸素吸入器を付けた親父は激しく苦しんだ
「もういい、殺してくれ」と
親父は付き添う私に懇願した
親を殺すことはできない・・・けれど
親父の苦しみの原因が酸素吸入器のような気がして
夜勤の看護士さんに
酸素吸入器を外すことはできないかと聞いてみた
「明日の朝、主治医の意見を聞いて・・・」
医師が指示し看護士が行った親父への対応は
間違っていたと思う
出勤した主治医が酸素吸入器を外すことを認めると
親父は安らかに呼吸をし
静かに息を引き取った

葬儀の日 斎場で親父が焼かれているとき
一天にわかにかき曇り
地域を恫喝するような一発だけの雷鳴があった
その雷鳴を聞きながら
親父は昇天したんだなと思った

借金だらけの家に婿に入り
国有林の造林に従事した親父
賭事にも色事にも酒にも弱かった親父
「何で借金だらけの家に婿にきたのか」
そんなことは聞くまい
父母が婚姻しなければ私は生まれなかったのだ

長寿は美徳か?
「もういい、殺してくれ」・・・親父の言葉が
耳の奥底にこびり付いている
生きる意義なぞそれほど確かなものでは無い
長く生きてきたものにとって
安らかな死こそがとても大切なのだ
長寿は美徳では無い
安らかな死こそ美徳なのだ
我が身よ 願わくば できればもう少しの猶予を
そして 安らかな死を


未明に酔っぱらって (2010.02.09)

  今日2月9日にはかつての上司の葬儀があります。奥さんにパッチワークの指導を受けている妻とともに葬儀に参列しようと思っています。もう午前3時を過ぎました。今夜もツ〜ンツンと冷え込んでいます。石油ストーブを点けていますが、寒さを感じます。冷酒を飲みながら起きていますが、午前4時には今日のために就寝したいと思います。
  「自分は何のためになお生きるのか」・・・「私にとって表現とは何なのか」・・・「私の生きる拠り所は何んなんだ」・・・日々激しい鬱気分に襲われながら、畑仕事をし、自治会の役員をして何とか時間を潰しています。
  表現−私の中にはまだ、マグマのようなものが蠢いているような気がします。ヘドロではありません。突破口が見つからずに鬱憤となって膨らみ弾けたがっているマグマ。
  昨日も何も書けなかった、未明の酔っぱらいの戯言です。


ゼロの焦点 (2010.1.10)

石川県観光推進課作成のビラ   飛騨高山にある映画館は60歳以上の人はそれを証明する公的証書を提示すればいつでも1,000円で入れるそうである。60歳未満の人でも毎月10日は前回の映画鑑賞時にもらった券を持って行けば1,000円で入場できる。
  1月10日の朝である。「『ゼロの焦点』って映画を観たいんやけど、一緒に行かん?」と妻が言う。「午後からなら行ってもええよ」と私は答える。今日2回目の『ゼロの焦点』は午後2時35分から上映されるというので、家で昼食を食べ、1時20分頃から高山に向かうこととした。
  午前中は大島諏訪神社のどんど祭に出掛け、下呂市消防団小坂方面隊の出初め式・消防パレードを見、小坂町古子で雪に埋もれた畑でホウレンソウを収穫するという中学校の同窓生を訪ねて足手まとい的に手伝って収穫したホウレンソウをもらってきた(湯がいて食べてみるととても甘かった)。
  映画館で映画を観るのは何年ぶりだろう。前回映画館で映画を観たのは『タイタニック』だっただろうか。『タイタニック』の製作は1997年なので、97年か98年のことだったのだろう。もう10年以上映画館で映画を観るということをしていないのだろうか。
  『ゼロの焦点』とは何か・・・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば「『ゼロの焦点』は、1958年3月号から1960年1月まで『零の焦点』というタイトルで『宝石』に連載され、光文社から刊行された松本清張の長編推理小説。2度の映画化、5度のテレビドラマ化がされている」という作品である。
  《あらすじ》は、『ウィキペディア』には「板根禎子は26歳。広告代理店に勤める鵜原憲一と見合い結婚した。紅葉が盛りを迎えている信州から木曾を巡る新婚旅行を終えた10日後、憲一は、仕事の引継ぎをしてくると言って金沢へ旅立つ。しかし、予定を過ぎても帰京しない憲一。禎子のもとにもたらされたのは、憲一が北陸で行方不明になったという、勤務先からの知らせであった。急遽金沢へ向かう禎子。憲一の後任である本多の協力を得つつ、憲一の行方を追うが、その過程で彼女は、夫の隠された生活を知ることになる」。作品の背景 には「事件の背景に、日本が占領下にあった時期に、米兵相手に売春行為をしていた女性(作品のなかでは「パンパン」とも表現される)らの存在がある。彼女らが過去の忌まわしい経歴を隠そうとする必死の願望が、作品中で重要な意味を持ってくる」と書かれている。
  私は『ゼロの焦点』を読んだことが無いような気がする。けれど概ねあらすじを知っているのは、1971年NHK制作。放送作品を観たことがあるためだと思われる。1971年NHK制作作品では、能登・富来町のヤセの断崖から望む日本海に室田佐知子が舟を漕ぎ出していく場面があったように思うけれども、今回の映画では日本海に浮かんで揺れる小舟が映し出されただけだった。
  『ゼロの焦点』では3人の女性が主役として登場する。鵜原禎子、室田佐知子、田沼久子である。1971年NHK制作作品では、鵜原禎子を十朱幸代、室田佐知子を奈良岡朋子、田沼久子を長山藍子が演じていたようである。奈良岡朋子の印象が強い。今回の映画では。鵜原禎子を広末涼子、室田佐知子を中谷美紀、田沼久子を木村多江が演じていた。中谷美紀も良かったけれど、木村多江の存在が「良いな」と思った。
  田沼久子の家で本多良雄が鵜原禎子に刺し殺される場面で、私は暗い画面と人を突き刺す大音響で自分の心臓が止まりそうになるくらい「ギクッ」とした。
  終盤、室田儀作が警察に捕まり(自首した?)、警察の拳銃を奪って自死するのだが、何んでそうなるのかはさっぱり判らなかった。
  挿入曲にプラターズの1955年のヒット曲「オンリー・ユー」が使われていた。私がプラターズの曲を聴いたのは、私が中学生になっていた1960年代前半、今正の「まもちゃん」がレコードを聴かせてくれたのだと思う。『アメリカン・グラフィティ』に出てくるオールディズの名曲である。特定の米軍将校と付き合う「パンパン」を「オンリー」と呼んだことがあるようである。挿入歌に「オンリー・ユー」を使かったのには、そのいわれがあったのかもしれない。
  そうか、1,000円で映画が観られるのか・・・時間潰しでもいい、これからはもっと映画館に出掛けるのもいいかもしれないと思った。



INDEXへもどる