話を聞く前にお願いしたいこと
皆さんは車椅子に乗っている私の姿を見て、また話を聞く中で「すごい」とか「気の毒」だとかいろんな感想を持つと思います。ただ私の話を受身的に聞くのではなく「自分がそうなったら・・・」「自分の身近な人や家族がそうなったら・・・」どう思うのか、どうするのか、どう接していくのかを考えながら聞いてほしいと思います。
また今日お話する話は私の経験談です。車椅子に乗っている人のすべてが同じことを考えているわけではありません。障害の原因、障害の種類、障害の程度によって抱える問題や思いも違います。広い福祉の中の第一歩として話を聞いてください。
ではこれから私が車椅子生活者となってから見てきたこと、感じてきたことのすべてをお話します。
障害という現実
・・・高校卒業後、福祉に興味があり仙台にある東北福祉大学に進み、さらに『障害児教育』を学ぼうと茨城の大学へ進みました。しかしある日突然事故にあい、私の人生は一変しました。・・・24才の夏でした。
病院での生活
首の骨折。すぐに治るものと思っていましたが、1カ月たっても2カ月たっても回復の兆しがまったくなく、ある日医者から治らないとの宣告をうけました。その衝撃は計り知れず、ショックでした。「何で自分が・・・」「なんで自分だけが・・・」そう思いました。
お見舞いに多くの方々が訪れ、「がんばれよ!」励ましてくれましたが、当時の私にはその言葉は耳には届いても、心には響きませんでした。私はそのとき現実と向き合えず、心を閉ざしていました。「何をがんばればいいんだ・・・」「いい加減なことを言うな・・・」と心の中で思っていました。
しかし時間がたつにつれ、少しずつ自分自身と向き合えるようになり、次第にみんなが励ましてくれる言葉が私の心に響くようになりました。そして気づきました「自分の周りにはこんなにたくさんの人が支えてくれている」ということに。そんなたくさんの人たちの気持ちや声援にどうしたら応えれるかを考えるようになりました。
私のリハビリ
少しでも自分でできることはないか。できるためにはどうしたらいいのか。ズボンをはくこと、Tシャツを着ること、ご飯を食べること・・・。考え抜き、出した答えは残った機能を活かして日常生活に対応することでした。それが私の『リハビリ』でした・・・。リハビリというと「治る」というイメージがあります。当初私もリハビリをすることで治ると思っていました。リハビリをがんばればもとの体に・・・。だけど現実は甘く、私のリハビリは治すためのものではありませんでした。
私の障害は、下肢機能(下半身)の全廃と上肢機能(上半身)の著しい障害。つまり歩けないこと、腕の力が弱いこと、指がうまく使えないこと・・・。だから服の着替えをしようとするとき、両手で挟む、手袋のゴムの部分を利用する、口を利用するといったことを行います。
入院生活3年間でいろいろなことができるようになりました。始めはTシャツを着るのに1時間以上かかりました。しかし練習をしていく中で次第に短くなりました。正直そんなことがすごくうれしくてたまりませんでした。上着が着れるようになったら今度はズボン、次は自分で食事を食べてみよう、歯を磨いてみよう・・・と思えるようになりました。そこで気がつきました「できないことを悲しむより、できることを喜ぶこと」「できないことをできるようにするために工夫すること」「まずやってみる、失敗してもいい、失敗したらどうやったらできるのか考えること」「自分なりに努力すること」そんなことがとても大切なことだと気がつきました。
ひとりの人間として生きて生きたい
以来自分の気持ちも変わりました。それまでは外に出るのが嫌でした。外に出て他人のひそひそ話や視線が全部自分に向けられているように思っていました。しかし自分のできることが増え、少しずつ自分に自信がもてるようになると外へ出るのも平気になりました。他人に見られても見られなくても「自分は自分だ」と思えるようになり、車椅子も自分の個性だと思えるようになりました。
何をするときでも人に助けてもらうほうが早いです。しかし自分の力で時間がかかってもやることのほうを私は選び、実行しています。現在すべてとはいきませんが日常生活の90%は自分で行ってます。誰だって自分のことは自分で行いたいと思うことは当たり前のことです。自分のことは自分で行い、車を運転し、働いている、君たちのお父さんやお母さんたちと同じ生活をしているのだと自分では思っています。「車椅子でかわいそうだ」と人は思うかもしれないけれど、私自身は同じ30代の人たちと同じ生活を望んでいます。つまりは私はひとりの人間として生きて生きたいのです。
心の目で見ること、接すること
もし今日の私の話を目を閉じて、内容も異なる話題を皆さんが聞いていてくれたなら、私のことを車椅子に乗っているなんて思わないでしょう。目で見たこと、耳で聞いたことがすべて正しいとは限りません。つまり心の目で見たり接することが大切なのです。
車椅子で生活をしている人は、皆さんから見ると非現実的に感じるかもしれません。しかし私は皆さんと同じようにおしゃれもしたいし、女性にだってもてたいです。だから車椅子を体の一部として考え、おしゃれな服装をするように車椅子も選び、乗りたいと思っています。
バリアをフリーにしていくには
バリアフリー(壁をなくす)とは何でしょう?。バリアフリーには環境のバリアフリーと心のバリアフリーがあります。環境のバリアフリーには時間とお金が必要です。(段差をなくすためにスロープにするなど)しかし心のバリアフリーには時間もお金もいりません。ほんの少しのやさしさと勇気があれば今日からでもできることです。(段差を持ち上げてもらうなど)
残念なことに環境のバリアフリー以上に心のバリアフリーは浸透していないのが現実です。近頃公共施設や大型スーパーなどで障害者用の駐車スペースが設けてありますが、一般の方が使用していたり、自転車・バイクなどの障害物があることで使用できないことがあります。せっかく環境のバリアが改善されているのに、そこに住む人たちの心にバリアがあるのです。「いつも使われてないから使用してもいい」のではなく「いつか使うであろう人のために準備してある」「その設けてあることの意味をしること」が豊かな社会なのではないでしょうか。
最後に君たちに・・・
ここまでの話を聞いて皆さんはどんな感想を持ったでしょうか。私がここまでこれたのなら、障害のない皆さんならばもっとがんばれるのではないかと思います。いいことばかりあるわけではありません。部活動の練習を一生懸命やっていたにもかかわらず負けてしまったり、テスト勉強をがんばったのに点数がよくなかったり・・・いい結果がでなかったからといって腐らないでほしです。結果的には努力をしなかった人と変わらないかもしれません。しかし一生懸命やった人にはハートが残ります。がんばった人はまた違った場でもがんばれると思います。がんばることのできた気持ちや強い心は変わらなし、将来自分の財産として残ります。
