日本の考古天文学 金山巨石群と太陽暦 <岐阜県下呂市金山町>

岩屋岩蔭遺跡の伝承

岩蔭遺跡と信仰

岩蔭遺跡にまつわる伝承にはこんな話が伝わっています。
平治の乱(1159年)で平清盛に敗れた源義朝の長男義平(悪源太義平)は、美濃から飛騨に潜伏して再起をうかがっていました。(金山町中切に町指定史跡源太屋敷があります)
 そんな中で、祖師野村に来た義平は、この地で米や金銀財宝や娘などを要求する狒々を村人の依頼で岩蔭遺跡付近に追いつめて討ち獲りました。義平は村に残るように村人たちから頼まれました大望を抱いているため、村人に狒々を退治した愛刀を与えて立ち去りました。その時の太刀は伯耆国の住人安網の作った名刀で現在でも祖師野八幡宮に保管されています。(神剣祖師野丸=県指定重要文化財)村人は恩義のある源氏の再興と武運長久を願い、源氏の氏神である鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の分霊を迎え、養和元年(1181年)に八幡宮を創立したものと伝えられています。

祖師野八幡宮に伝わる古文献によりますと、現在の地、茅野に社殿ができたのは応永22年(1415年)であり、その時の棟礼は県指定重要文化財になっています。それ以前は榧野というところに小社があったとされていますが岩蔭遺跡付近に榧坂という地名があり、神社創立者(田口左近光負)は下呂町門原の住人であったことなどから推察しますと、多分この地に最初神社が祀られたものと考えられます。岩蔭遺跡に祀られていた岩屋神社は明治維新前は妙見神社といわれていました。妙見信仰は北斗七星を神格化したもので、国土を擁護し災害を滅除し、人の福寿を増すものとされています。また、岩屋神社の祭神は天常立神であり、天の神すなわち高天原を永久に守るいわば警備隊長性格の神でした。とにかくこの地は、古くから神聖な地であり、古代から信仰の場として尊崇されていたものと考えられます。

なお、岩屋神社は岩屋ダム建設時に地元の氏子の要望により現在は祖師野八幡宮に合祀されています。



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