日本の考古天文学 金山巨石群と太陽暦 <岐阜県下呂市金山町>

縄文時代

◇縄文時代の気候と中部山岳地域の遺跡について
●縄文時代早期前半
 (9000年前頃)
年平均気温が現在より2-3℃低い状態
晩氷期が去った日本列島に温帯落葉樹林が拡大する
●縄文時代前期
 (6000年前頃)
年平均気温が現在より2-3℃高い状態
照葉樹林が拡大し、温帯落葉樹林は後退

「5000-4000年前、西日本の照葉樹林帯の遺跡数は減少するが、同じ時期、中部山岳の八ヶ岳のような地域では遺跡が一挙に4倍近く増加している。照葉樹林を捨てて、ナラ・クリ林が多い地方へ人口が移動。仮説の域を出ないが、この時代の中部山岳の遺跡数の増加率は自然増加とは考えられないほど高いのである。縄文中期を通して気温は少しずつ下がっていく。とはいっても現在よりは温暖な気候であった。それが急激に落ち込むのは、4100年ほど前で、エジプトではナイル川の水位が低下し古王国時代が終焉する時期にあたる。中部山岳の遺跡数は激減し、その一部は西日本に移動したことが、石器製法の伝播の研究により最近わかってきた。中部山岳では自然の許容量ぎりぎりいっぱいまで人口が増加し、そのために急激な気候変動に耐えることができなかったのだろう。」                                   
                                              「芸術新潮」1987年12月号
◇スポット光が射し込む空洞<線刻石のある巨石群>の発掘調査(平成15年)
2003年線刻下の空洞から削器及び炭化物が出土

@チャート製 不定形削器(写真右)
 ・片刃(動物の皮剥ぎ、なめし用)
 ・抉りを備えかけた定形化への初期段階の削器
 ・B.P.6000〜7000(縄文時代早期)

A炭化物
・加速器質量分析法(AMS法)による放射性炭素年代測定→暦年代較正値…B.C.2875
 《分析Paleo-Labo Co.,Ltd.》
◇発掘調査(平成13年2月)
平成13年2月の岐阜県による一部発掘調査では、縄文時代早期の押型文土器片が見つかり、伴う石器は石鏃が多く、岩蔭遺跡は狩猟のキャンプ地として、早期から晩期に至って利用されていたということです。また、弥生時代の痕跡として、土器片と伴に、穿孔磨製石鏃が見つかっており、穿孔磨製石鏃は粘土岩を研摩して薄く形を整えて、穴をあけたもので実用品ではなく、儀礼的道具と考えられ、弥生時代には儀礼の場にもなっていたようです。更に寛永通宝が7枚出土して、江戸時代には整地して平らな場所を作り、火をたいて祭りを行っていること、また、中世の頃には義平の伝承が残るのみで、人の利用は認められないとなっています。
 
◇岩屋ダム建設に伴う埋蔵文化財発掘調査(昭和51年)
出土した縄文土器・石器(一部)【金山町民会館展示品】
縄文遺跡マップ 【縄文時代の年代】
草創期

12000〜9500

B.P.

早 期

9500〜6100

B.P.

前 期

6100〜4800

B.P.

中 期

4800〜4050

B.P.

後 期

4050〜3050

B.P.

晩 期

3050〜2100

B.P.

■「B.P.」1950年を起点とし何年遡るかを表す

●縄文土器



●石器



下呂石 げろいし
下呂石は、旧石器時代から石器の素材として盛んに用いられた湯ヶ峰産の流紋岩です。
飛騨地方を中心とする縄文遺跡からも数多く出土しています。また飛騨地方では土偶・石棒・石冠・御物石器など、祭祀に使用されたと考えられている石器の数が、縄文後期・晩期になってから種類とともに多くなったということです。石冠と御物石器に関しては、日本で発見される約50%がこの飛騨地方で発見されています。

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